家庭連合(統一教会)内にあった「二つの見解」

家庭連合(統一教会)内にあった「二つの見解」

広先生は先の「罪と堕落性」と「血統転換と心情転換」について統一教会の中には二つの見解があったことを話されました。

そして、腕時計をちらっとご覧になるや、

「申し訳ないのですが、これから人に会う約束があるのです・・」

「あっ、そうでしたか。本日は初めてお目にかかりながら、長い時間いろいろとお話して下さり本当にありがとうございました。」

「いえいえ、とんでもない、」と同僚にも会釈をされ
「朝日奈さん、またお会いしましょう・・・ではお先に失礼します。」

と、ちょこっと手を上にあげ、別れのしぐさをされながら表に出て行かれました。

広先生の私見として話された内容

「この話はあくまで私見ですが・・・」と言って広先生が話された内容を要約すると以下の通りです。

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先の二つの概念
・罪と堕落性
・血統転換と心情転換

このとらえ方において教会内部で意見の相違があった。

【概念統一派】
家庭部、教育部にいた内部教会員の教育を担当する人や初期に伝道された先輩たち

・祝福は受ければよいというものではない
・儀式としての祝福は救いの出発だ
・人格と心情の完成、真の家庭完成が努力目標となる

救いの概念を実体的な内実の伴った罪を犯さない、堕落性のない状態に至ることとして捉えた。

【概念分離派】

伝道部 超教派部 超宗派部 特に対策部
他の宗教団体との比較の中で
「統一教会の救いの優越性」を特に強調する必要があった部署の人々。

祝福による法廷論的な恩恵(他力)を強調し
二つの概念(罪と堕落性、血統転換と心情転換)を分離する傾向が強くみられた。

しかし、この二つの見解は結果的に当時統一教会において教学的責任を持つ「超教派部」「対策部」の強い主張と要請の後押しが影響して、

‘罪と堕落性および 血統転換と心情転換は完全に分離された概念である’として教会内に定着した。

問題は、【概念分離派】が現場において次第に、あたかもお父様の御言が示している成約時代の救済観であるかのよに誘導し教育したこと。

すなわち、罪と堕落性のうち、

罪の清算=贖罪・・・の部分だけが強調された

血統転換と心情転換のうち、血統転換・・・即ち 法廷論的入籍だけが強調された。

そして、これこそが「成約の実体救済」だと誤解を与える結果となった。

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私は伝道されてから祝福を受けるまでの5年の間、ビデオセンターや教育部にいた期間が大半を占めていたので、当時の私の原理観は広先生の言われる【概念統一派】に属してたことがわかりました。

ただし、原理講師を経験した関係で、当然のことながら、祝福の核心部分である原罪の清算に関しては、お会いした広先生の反対牧師対策として指導された法廷論的贖罪観が頭の中にがっちりと概念化されていましたから、自分でお父様の御言と整合性があるかどうかを検証するはずもなく、したがって、御言と合致しない部分がある・・などという発想さえ持ち合わせていませんでした。いや、これは、当時私と同じ世代の若き指導者の共通点ではなかったでしょうか。

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