摂理の胎動
摂理の胎動
2023年8月
最近になって私の周辺で不思議なことが度重なり起こり始めました。
不思議なことといっても、ほかの人からみれば取り立てて何かということではないと思われることであります。
しかし、新たな摂理的動きが始まったという思いが心を占領するようになりました。
文先生が聖和されて早11年の歳月を流しました。
神のみ旨成就は、いわゆる「本然の基準」に未だ到達していないというのは、誰がみても明らかであります。
ですから、御旨成就のために摂理は継続していくことでしょう。
霊的世界でも先生ほどのお方がじっとしておられるはずはありません。
聖和後、即座にこの地上世界に対して何等かの働きかけをはじめ、今も継続しておられるはずであります。
問題は地上に生きる私たちの方であります。
私たちが霊的世界の高次元の方々との相対基準を結べないので、彼らが協助したくてもできない現実があるのではないでしょうか。
霊界が協助できない理由
どうして地上の私たちと相対基準が結べないのか
この第一に挙げられる理由は、
地上の私たちが、日頃から天の願う方向に気持ちを向けていないせいであります。
この地上世界、実体世界は、時間、空間に制限される世界であります。
制限があるからこそ、区別がつき、喜怒哀楽も霊的世界以上に「実感」をつかめる世界であります。
特に愛の世界はこの実体の世界の方が格段に刺激的であり、感動をもたらすのです。
それを私たちは心と体の両面から深く大きく感じることができるようになっています。
したがって、霊的世界で活動している高次元の人たちと共に生きるという意識をもたなければ、この実体世界における肉体から来る刺激に霊的感性がかき消されてしまい、霊的世界からのシグナルに気が付かないということです。
それほど実体世界は影響力があるということです。
次に、私たちの行動の動機が、常に自分の利益になることを優先にしているからです。この点において霊的世界の方々との相対基準が合わないのです。
というのも、高次元霊界にいる方々は、何度も輪廻転生を繰り返し、愛のレベルを高めた人、すなわち、利己的愛への執着はとうに脱却し、より利他の愛に生きようとする人たちです。彼らは地上にいる「利他愛に生きる人」と相対し、そういう心の持ち主たちと行動を共にしながら、さらに愛のレベルを高め、より広く深い愛と喜びの世界を地上人と共に味わいながら、活動しているということです。
派閥をつくったり、どちらが上でどちらが下で、こちらが正しい、あちらは間違っている・・・
そういった無益な争いや葛藤が絶えない環境の中で利己的動機をもって生きていては、到底波動、波長が合いませんから、高次元世界の霊人たちが地上人と関係を持ちたいと考えていても一向にこちらは関係を持つことができずにいるわけです。
時が到来した時
天の「時」が到来すると、高次元世界の方々は地上世界に様々な霊的現象を引きおこし、地上人に今の時の重要性に対する「気づき」をもたらすように働きかけてくるでしょう。
戦争や疫病の流行、天変地異、・・こういった大きな規模の現象もそうでしょうし、もっと身近なところで、人間関係の中での出来事においても個別に働きかけをして、なんとか今の時を示そうとしてきます。そして、これは今後世界同時多発的に様々な方面で起きてくることで、人々がそれら事象の意味を探し求めるようになります。
夢や具体的な啓示などもそうです。
天の時とは
では「天の時」とはどういう「時」を指すのでしょうか。
額にイスラエルの印のある人であれば、「天の時」とは何を意味するのかを悟ることでしょう。
スピリチュアル系の発信をしている人達にも、各レベルに合わせてメッセージを送っているようです。今が「次元上昇する時」だとか、「アセンションだ」といった類の主張がそれですね。
新しい葡萄酒は新しい革袋に
新約聖書マルコによる福音書 2章21節から22節にある聖句
「だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい布切れが古い服を引き裂き、破れはいっそうひどくなる。
また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」
天の時を正しく迎えるために、新しい革袋を各自用意しなければなりません。
私にとって「新しい革袋」とは何になるのでしょうか。
謙虚に自分自身を見つめ考えるところから始めてみませんか。
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