2023年 私たちが立つ現在地
神の摂理には「時」があることを知っています。
人間始祖の堕落以後、神の復帰摂理は失ったアダム家庭を探し立てる闘いを続け
途方もない年月を流し展開してきたことを、原理を学んだものたちは知っています。
ノアやアブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、サウル、ダビデ、ソロモン、マラキそしてイエス・・・
聖書に登場した人物たちは、その時代を牽引した摂理的中心人物でありました。
そして現代における摂理的中心人物として来られた方がR・ムーン、すなわち文鮮明先生でありました。
しかし、その文先生も今から11年前に昇天されました。
神のみ旨は未だ成就していない
文先生は、悲しい神様の事情、心情に触れてしまったがゆえに、
神様のみ旨成就をなし、神様の心情を解放して差し上げるべく、自身の抱いた夢をかなぐり捨て、人生のすべてを投入していかれた方
まさにイエス様が成し遂げることができなかった使命を継承して立たれた方であること
これは祝福を受けた統一信徒なら、誰もが疑う余地なく認めるものでありましょう。
しかし、短期間にあれほどまでに多くの業績を残してこられながらも、先生ご自身は「み旨の定着は成せなかった」と、
半ば無念といも捉えることのできる御言を残しておられます。
2001年1月1日 第三十四回「真の神の日」記念礼拝の御言 (ファミリー2001年2月号 P59)
そこにおいて、どこに万物があり、どこにイエス様がいますか?
イエス様も成し遂げることができませんでした。それに対して、再臨主もみ旨の定着を成すことができませんでした。それを所有するためには、サタン世界の万物の前に恥ずかしさがあってはならないのです。
また次のような御言も見つけることができます。
天聖経初版 P1514 (祝福家庭)
氏族的メシヤが安物だとでも思っていますか。賢い先生がメシヤの使命を果たすために一生を捧げても到達していないので、恥ずかしく思っているのです。
このみ言には続きがあります。
皆さんにとって、「氏族的メシヤ」という言葉は驚くべきものです。イエス様よりも貴い価値ある立場に立てるのです。そればかりでなく、統一教会に反対し、誹謗中傷してきた人をも、堕落していないアダムの立場に引き上げてあげるのです。この世の中に、そのような話がいったいあるのでしょうか。語っているこの文なにがしという人は、真の父母様の位置にあるので、今まで話してきたすべてのことを成し遂げてきました。成し遂げられなかったことはありません。
「成し遂げたこと」と、「成せなかったこと」の両面があることがわかります。
実際、文先生について調べれば、個人においても、またご家庭においても「真の父母、真の家庭」とお呼びするには憚られるほど、負の遺産が多くあることも事実であります。
それゆえに、先生に対してつばを吐きかけるようにして立ち去った人たちがどれほど多かったことか。
神のみ旨に対する予定は絶対的
神様は絶対、唯一、永遠、普遍の方であられるので、神様のみ旨に対する予定も絶対的です。
この観点から、「真の家庭」をこの地上に定着させることが神のみ旨であるならば、この地球上のどこかで、神様が文先生を立てて成そうとされた神様のみ旨を引き継いだ摂理的中心人物が登場してくるに違いないのです。
人類救済の問題を考えても、原理では、堕落人間はメシヤによって原罪を清算し、完成に至るとなっています。文字通りに受け止めるのなら、堕落した人間の前にメシヤが必要であり、そのメシヤによって救援されなければならないわけです。
「救い」というのは、本来の位置と状態へ復帰することであり、神の立場からは人間を救うことですが、救われる人間の立場からは、創造本然の状態に復帰すること
(み旨と世界P550)
これから我々堕落人間の中から、創造本然の状態に復帰された「救われた人」が現れてこなければなりません。
私たちが立つ現在地
2023年 私たちの地球環境を見るとき、私たちの生きている現実は地上天国に近づいているというより、このままいくと世界は再び大きな戦争が勃発しかねない局面に移りつつあるとしか言えない状況であります。
戦争、飢餓、環境問題、天変地異といった世界で様々な問題が起きるとき、聖書では、終わりの日が近づいている兆候であるとされています。
私たちはその「終わりの日=終末」は善悪交差がなされる時として理解してきました。
そして、すでに双合十勝日(2004年5月5日)以降、教会内では今を「後天時代」「天一国時代」と呼ぶようになりました。
時代は変わったといいますが、2004年当時文先生が御存命であられましたから、問題にされませんでしが、今やこれからの神の摂理は、どこに中心があり、どの方向へ向かっているのかについて明確な回答を得ないまま混迷しています。
83年から85年の同時性が2023-2025年
実は1945年からの荒野路程40年が1985年で終了し、さらにそれから40年が経過する年となるのが今から2年後の2025年であることをご存知でしたでしょうか。
1945年から1985年までの40年路程の意義を深く理解していくと、1985年から2025年までの40年は、第一次40年路程後に成すべきことができなかったことを再び蕩減して越えていく40年期間となっていることが見えてきました。
そうすると83年から85年の同時性が2023-2025年と重なりあってくるのです。
1945年からの40年路程が終わる2年前の1983年4月に文先生は「全体蕩減」という御言を韓国ニューソラクホテルにて日本語で語られました。
(全体蕩減の御言が日本語で語られたのは、元原研会長太田洪量先生の証から判明しました)
そして85年を越えるまでの最後の3年間は、一つの内的な摂理の峠を越える深刻な期間であったことを思い出します。
1983年12月14日~全国勝共決起大会(韓国8ヶ都市)
12月18日 世界平和教授協議会世界大会
12月22日 次男興進様の自動車事故
1984年1月2日 興進様の聖和 1月3日 愛勝日
2月20日 統一ペンテコステ、興進様聖婚式
7月20日 文先生が神山氏と共にアメリカコネチカット州ダンベリー刑務所に収監
1985年8月16日 一勝日 8月20日 ダンベリー刑務所出監
まだ生まれていない今の青年たちが、こうした年表の羅列を見ても、当時の状況がどれほど深刻であったか知る由もないことでしょう。
実は当時共に活動していた食口たちも、まさか荒野路程を越える最後の3年間に文先生に対する内外共の厳しい試練が襲いかかるなどとは予想しなかったことです。
2025年にむけて何が起きるのか
未来に起こることはだれも正確に予測することはできないでしょうが、神様の摂理的な流れは「蕩減復帰」という観点でみると、同時性的性格をもった現象として表れてくることを知っています。
そのような観点から、82年から85年の3年間にかけて統一教会に起きた内外の事件や事象が、同時性的に2023年から2025年の時代の流れに重なって表れてくるのではないかとみるのです。
御言では、説教集「み旨と世界」の「全体蕩減」以降の5つの御言をじっくり訓読してみられることをお勧めします。
・全体蕩減
・信仰の三子女と本然の家庭基盤
・私を中心とした父母と子女と万物世界
・愛勝日の必要性
・真の愛を中心とした本然のエデン
ただし、今までのようにさらりと読むような読み方ではなく、御言が比喩やたとえ、暗号になっているという観点をもちながら、じっくりと、時間をかけてご覧になって下さい。
先生のメッセージや説教は、御旨と摂理という観点で見る必要があります。
人間の責任分担に関係する内容、すなわち「御旨」については比喩や暗号で表現されます。
一方「摂理」的内容に関しては直接表現で説明されます。
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