個人完成をしないまま結婚生活をしています

個人完成をしないまま結婚生活をしています

個人完成をしないまま結婚生活をしています 

創造原理では、第一祝福である人格完成をなした男性と女性が夫婦となり家庭を持つのだと学びました。

しかし、人類始祖アダムとエバが、天使長の誘惑を受けて不倫なる関係を持ち、結局、アダム・エバは人格完成をなせないまま夫婦関係をもって堕落した・・・

だから、失った位置と状態をとりもどすために、堕落した経路と反対の経路を通って元の位置に帰る、すなわち「復帰の道」を私たちは行くのだと学びました。

それで、教会生活の中で実践したのは、神を中心とした動機をもった生活を徹底し、祝福マッチングを受け、聖別の期間をもって、その後家庭出発のための儀式を行って夫婦生活に入ったのです。

祝福式、聖酒式、蕩減棒、三日行事・・・といった一連の儀式。

確かに今振り返ってみてみても、随分といろいろな「儀式」を実践していたと、我ながら感心します。

一方、私たちの「心情」の成長はどうなったでしょうか。

創造原理で言われている個人の完成を、夫婦生活に入る前までに成したのかと問われると、それはもう恥ずかしい限り。胸を張って、「私は神の心情を復帰し、心と体の統一をなしました!」などとは到底言えない状態でした。

文先生は集会を持たれるたびに参加者に「心と体が統一されたもの、手を挙げてみなさい・・」と言われてましたが、誰一人手を挙げていなかったし、先生も、「ここには誰もいない」と言われていました。

人格者だったら、かえって教会の外にいる人の方が格段に素晴らしい人がいるようにも思うのです。

大方の人が人格を完成しないまま結婚生活に入っているというのは間違いないでしょう。でも、これは創造原理的観点から見れば「堕落行為」となるのでは?という問題となって、いつまでも解決されずにいる状態です。

結婚した当時の私たちは今のように深く考えている暇がなかったし、そもそも「祝福」は文先生の指示で行われたものでした。
私たちは文先生をメシヤと信じ、その方が「良し」とされたのだから・・・という理由で従ったまでのこと。しかもメシヤによって原罪は清算されたのだから、それだけでも良しとすべきだ… 私はそう言って自分の良心を説得していたのです。

ところが、同僚の話や広先生の話は、そんな私の過去の気持ちを根底から覆えしていきました。そして、これから先私はどうすれば良いのかと、急に重たい荷物を背負わされた感覚になったのです。そこにどんな原理的理由があるのか、これを私たちは改めて考えてみる必要があります。

 

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未だ堕落人間から復帰完成した人はいない

私たちが蕩減復帰の道を歩んできたとはいえ、現実的にみて、個人完成さえ成し得ていないという事実がある以上、幾らお父様から祝福を受け、家庭を築いていたとしても、本来神のみ旨、創造の理想である家庭完成には絶対に至らないのは明白です。

家庭が基盤となって氏族を形成し、その基盤が拡大して民族形成へ、さらに神の国が実現することを考えると、家庭完成が成されないというのは、神の創造理想が完成しないということ。これは神様からみれば深刻な問題ではないですか。

実は、私たちのお手本となって下さることを期待していた真の父母様のご家庭ですら、その実情を知ってみるとすべてうまく行ってはいませんでした。

困難な状況下にあるところを指摘して、物申すつもりはありませんが、それだけ「家庭」を理想の姿に導いていくのには困難が伴うということですね。

今まで信じ従ってきましたが、今やすべてが明らかにされている以上、その事実をよく知った上で、そうなってしまった原因究明や、今後どうなっていくのかという未来予測を踏まえて、私たちの方向性を各自決めていくときです。

「信じれば救われる」は通用しない

文先生が聖和されて早10年の歳月を流しました。そして、その間に世の中は日進月歩、大きく変化してきました。

教会組織の分裂もさることながら、情報革命の波にさらされた私たちの子供たち、すなわち二世、三世たちの多くが霧の中に放り出されたかのように、どうしてよいかわからずに、ただこの社会変化の波の上で漂っているような感じを受けてしまいます。

父母は父母で、そんな子供たちの実情をよそに、神の血統を守るためだとして、とにかく祝福結婚をさせていこうと躍起になる。

私にも未婚の子供たちがいるため、結婚問題は他人事ではありません。実際悩むところです。しかし、このまま相手をどこからか選んできて仮に話がうまくまとまっていったとしても、一方で、先生が御言で語ってこられた神の理想実現からは程遠く、このまま進んでいくと、かつてモーセに従ったイスラエル民族が40年荒野路程を終えてカナンの地に入った後、カナン七族に同化して信仰を失ってしまった教訓を生かすことができないのです。もはや信じれば救われる、信じれば完成する・・といった夢のような話は通用しなくなりました。

文先生の伝統を残していく闘い

子供たちが成長していくにしたがって、父母の話に耳を傾けるようになる子と、そうでない子とがでてくるようになりました。父母の信仰の基準がそのまま子供に反映されるという、現実を目の当たりにして、我が家も夫婦が悔い改めから出発しました。

朝日奈さん、今さら気づくなんて遅いっすよ・・・

その通りです。ただ、気づいた時に即出発しなければ後悔してしまいますよね。

真の父母様が新しい時代を切り開いてくださいましたが、神様と共なる生活の伝統を相続するためには、私たちも文先生の歩まれた路程を大なり小なり通過させられる立場にあるわけです。

各家庭の問題は一つとして同じものがないために、どこまでも父母が現実を直視しつつも責任をもって対処しなければなりません。しかし、祝福家庭同士のつながりも大切なところ。ここをうまくやっている家庭は、子供たちも心情的に安定し、結婚問題も比較的スムーズに導かれていることを見ますと、いかに良い環境をつくってあげられるのかにかかっているように感じます。

文先生の伝統を残していく闘いは、これからも各家庭の中で静かに展開していくことになります。

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