「私たちの心」を完成させなければならない

「私たちの心」を完成させなければならない

「18」という数に対して注目をしてこなかったのですが、改めて意識して先生の御言をみてみると、「18数」にまつわる御言が結構出てきます。

そして、原理軌道に従った本然の人間の成長過程において、18歳が一つの完成基準に到達する年齢であるなら、後のアダムとしてこられたイエス様も、再臨主という立場、すなわち第三アダムとしてこられた文先生も、18歳で個人としての完成基準を越えているとみるべきだというのが、成約原理的観点です。

心と体の完成

さて、ここで繰り返して「完成」といってきましたが、人間としての完成とは、一体何がどのように完成することなのでしょうか。

一般的に人という存在は精神的部分(心)と肉体的部分(からだ)の総合体としてみています。(ここ最近の量子論的な視点でみると、心と体とを区分することが難しくなってきてますが)従って、個人における完成基準は、心と体が調和し共に完成しなければなりません。

では、心の完成、体の完成とは、それぞれどういう状態になっていなければならないのでしょうか。

体の成長と完成

まず、肉体の完成ついて考えてみましょう。

人間の肉体は生まれてから成人に至るまで、両生類や昆虫のように変態することがありません。ですから、生まれた時にはしっぽがあったのに、成長とともになくなったとか、当初指が三本だったのが、5本になるといった基本構造の変化はありません。

※親知らずが生えるだとか、陰毛や体毛が濃くなるといった小さな変化はありますね

すなわち生まれた姿のまま成長して、背丈が伸び、体重が増え、18歳~20歳ころになると個人差こそあってもその成長がほぼ止まります。その間に五臓六腑の機能が充実し、免疫機能も高まります。(男性、女性の体の成長にもそれぞれ特徴がありますが、ここでは大まかにとらえて説明しました)

では、肉体を成長させるために何が必要になるかといえば、空気、太陽光、水や食物の摂取です。また食物の摂取後に消化作用を終えて残った不要物を尿や便として排泄したり、温度調節等で皮膚の表面から発汗するなどの循環作用が必要になります。

肉体のすべての機能が調和のとれた健康的な成長促進を図るには、適度な運動や睡眠も必要になりますね。

これらは、「地球」という環境の中にいる限り、肉体のもつ自律性によって、心が意識せずとも成長に必要なものを摂取するようにDNAにプログラムされています。

医学的にみると、各臓器や部位についてそれぞれの成長や変化があるでしょうが、おおまかにとらえれば、以上のようなプロセスで肉体は完成基準に到達しています。

心の成長、完成

一方、心の成長、そして完成についてはどうでしょうか。

まず、心が完成したという基準は、どういう状態であることをいうのでしょうか。

人間の肉体であれば、その姿はこうあるべきといった、骨格をはじめとした基本構造がありますから、人間の心にもそのような基本構造があってしかるべきなのですが、はっきりしていますでしょうか。

たとえば「人格」という言葉があって、ある人を指して「人格者だ」と評価を下す場合、私たちの共通認識として人格者とはこういう心の持ち主だという「ある基準」を暗黙の了解としてもっているようです。なぜなら、心の要素、性質的な要素として、感情、知性、意志があげられますが、一般的に人格者と言われる人は、知性に富み、利他的な愛の持ち主で、その行動においても、人のために尽力している人だと評価しているからなのです。

一方、自分が願う理想的な人となると、その人が「人格者」なのかと言えば一概にそうだとは言いきれません。たとえば、○○のような人になりたい・・と、ある特定の人に憧れの感情をいだく場合、その人独自のもつ個性の特徴について憧れを抱いている場合もあったりするからです。

いわゆる人間として普遍的に整えなけらばならない基本的な心の姿(人格)があって、それを完成させるとなると、その完成の基準はいかようなものなのか、この部分を整理する必要があるということです。

人間の心の成長に必要な条件

それから、心が完成基準に至るために必要な条件があるとするなら、それは何なのかという問題があります。

人間が動物と違うところの一つに、生まれたばかりの赤ん坊の心は、白いキャンバスに何も描かれていない状態だとたとえて表現されるように、人の心は育てられ方の如何によって、いかようにも心の在り方が変わる性質を持ち合わせていることがわかっています。

インドにおいてオオカミに育てられた孤児の少女アマラとカマラのような「野生児」の例に代表されるように、幼少期に覚えた習慣は恒久的なものとなることや、発達初期段階に社会との接触が得られないと、その後、人としての社会性をもった生活が困難になるといった事例から、心の成長は体の成長と違って、自律的に成長していくのではなく、人としての教育を受け、また本人自らの意識や努力も必要であることがわかっています。

特に、心の生育に最も大切な環境が「家庭」であることは言うまでもありません。つまり自我の目覚めに至る前の、育てられた家庭環境がその人の心の成長に多大な影響を与えることがわかっているので、心の成長完成のために、どのような家庭環境が必要なのかも合わせて考えなければならないわけです。

堕落してしまったのは人間の心

私たちは堕落論で、人間が神様の創造本然の姿になっておらず、堕落した状態にあること、そして、その堕落した原因が何であり、そこに至る動機や経路などについて学びました。

図を書いて「落ちる」という表現を用いるためか、なにか物理的に高いところにあったものが下へ落下したような感覚になりますが、堕落したのは私たちの心情であること。神様の心情に通じることができなくなったこと。神様がわからなくなったことが堕落であります。ですから、体の方は堕落していないということをはっきりと認識し、区別する必要があります。

心の在り方が問題であるため、完成させなければならないのは「心」の方ですね。

文先生は心と体の統一についてよく語られますが、堕落した心であっても、体の方としては心が意識する方向へ常に従って動いているので、実は心身は見事に統一されているということを知るべきなのです。

かつて、あなたが、心で思ってもいないことを体が勝手に動いたために困ったというケースがありましたでしょうか。たとえば反射神経が作用して体が勝手に動くことがあります。しかし、それは体の方が生命の危険を捉えて瞬時に本能的に動いた現象ですね。一旦心が意識した場合には、逆に体が危険信号を出していても、心が反対の方向へ進もうとすれば、体はその心の力に動かされるようになっています。

従って、実は敢えて体を主管しようと体の方を意識しなくても、体はいつも従順に心の命じるまま従っているので、「心」こそ、どの方向を向いているのかを意識していく方が大切になるのです。

心の完成基準=第1祝福の完成

心の完成基準を一般論として、立派な大人になること、人格者になること・・という表現を使っていますが、文先生の御言では、心がどういう状態になることが完成基準なのでしょうか。

それは、第1祝福の完成、すなわち、神の心情と私の心が完全に一つになった状態。かつてイエス様が、私は父の中におり、父が私の中にある。私を見るものは神を見るものだと宣言された心の状態。人間が神様の似姿になることだと教えられました。

ですから、私たちが目指すべきは第1祝福完成者、すなわち各自が「生きた神様になること」ですね。

だとすれば、私たちが神様になるためにどうすべきなのか、その方法論を知る必要があるわけです。そのための第一段階として、まず「神様をよく知ること」から始めなければならないということになりますね。

 

 

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朝日奈
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