御旨と摂理について考えます ①御旨とは何か

御旨と摂理について考えます ①御旨とは何か

文先生の御言を理解する上で重要なキーワードとなる「御旨」と「摂理」について考えてみようと思います。

家庭連合の教理となる「原理」というものを長きにわたり学んできましたが、その中で、いわゆる「原理用語」という、世の中ではあまり使わない単語が数多く登場しました。

今回取り上げる「御旨」と「摂理」という単語も、一般の人は口にしない言葉です。しかし、食口同士となれば、当たり前のように日常生活でよく使っています。

ところで、普段、教会でこの二つの単語がどのように使われているのかを考えてみた時に、とても曖昧な使い方をしている、あるいはこの二つの単語が同じような意味として混同して使われているように思います。

例えば、教会活動からある兄弟が帰って来た時に、
「ご苦労様!あなたの御旨は今日何だったの? 」と質問したら、
「今日は化粧品を販売することだった。」と答えた。

また、外出した際にある兄弟に出会って、「いやぁ。ご苦労様!今日のあなたの摂理は何だったんですか? 」と質問したら、「今日の僕の摂理は化粧品を販売することだった。」

と、こんな使い方をしていなかったかと思います。

そもそも、この「御旨」という単語と「摂理」という単語は、これだけ文字が違うので、当然意味が違うはずですし、国語辞典を引いてみれば一目瞭然で、全く違う意味として説明がなされています。

ただ、この単語の定義を国語辞典に置くよりも、文先生が、この「御旨」そして「摂理」という単語について、どのように定義しているかを知るほうが、御言を深く理解する上で重要になると思います。

そこで、まず「御旨」とは何かについて、御言集から見てみようと思います。

「御旨」についての定義

「御旨」についての定義は、「祝福と理想家庭」という4分冊となった本がありますが、この中の第1巻の一番最初に「御旨とは何か」ということが書いてあります。
「祝福家庭と理想天国」1巻の方では、P402の『第一節 創造理想と人間の堕落』のところになります。

「多くの人たちが神様の御旨について語っています。しかし、この話は簡単なようで、いざ、「神様の御旨とは何か」という質問を受けた場合、答えるのは非常に難しいものです。

多くの人たちが神様の御旨について語っているけれども、この話は簡単なようで結構難しいというのです。いざ、「神様の御旨とは何か」という質問を受けた場合、答えるのは非常に難しいとういことです。

また、今日まで多くの信仰者が、「神よ、御旨を成さしめ給え。」と祈ってきました。そして、神様の御旨を成すために、現在、私たちも信仰生活をしています。しかし、神様の御旨が何であるかも良く分からずに、神様の御旨がなされることを祈り、また、その御旨のために信仰生活をしているというのは、一つの矛盾だといわざるを得ません。

私たちも、「御旨なのよ!これは」などと言ったりして、御旨の話をよくしますが、御旨とは何かと質問されて、分からない状態のまま「御旨を頑張ってます!」と言っても、それはおかしな話になりますね。

そこで、文先生は「御旨とは何か」について定義して下さいました。

それでは、私が神様の御旨に対して、定義をしてみましょう。私は神様の御旨とは、「創造理想を完成すること」だと定義を下します。

このように、先生ははっきりと「御旨」について定義されました。

ですから、これから「御旨」という単語を使う時に、「御旨とは何か?」と尋ねられたら、はっきりと、

「神様の創造理想を完成すること」

このように答えなければならないということですね。

創造理想を完成するとは

それでは、創造理想の完成とはどういうことか? と質問されて、いや、そりゃ分かりませんと言ったら御旨が出来ないことになるので、創造理想の完成について、文先生がどのように説明されているかをみてみます。

『それでは、神様の創造理想を完成するということは何でしょうか? それは人間の理想を完成することです。言い換えれば、アダムとエバを中心として、全被造世界が神様の御旨の前に一体となり、アダムとエバの理想を完成することです。統一教会の言葉を使って言うならば、神様の御旨は、四位基台を完成することです。

統一教会でみる神様の御旨、即ちレバレンド・ムーンが知ってる神様の御旨とはなんでしょうか? それは神様が宇宙を創った創造理想、即ち創造目的を完成することです。神様は、すべての被造万物を創造する時、必ず目的を持って創造されたので、そのような神様の創造目的をなすことが、神様の御旨です。その目的の中心は、誰でしょうか? アダムとエバでした。それ故に、私は、創造の理想を実現すること、即ち、アダムとエバを中心とした理想を実現することが神様の創造目的だとみるのです。』

上述した御言を少し整理してみると、
神様の創造理想を完成するとは何でしょうか? という問いに対して、

「それは人間の理想を完成することです。」

と、はっきり書いてあります。

そして、

神様の御旨とはなんでしょうか? それは神様が宇宙を創った創造理想、即ち創造目的を完成することです。

このように説明されているので、この創造理想は、創造目的を完成することでもあります。

「御旨」とは人間の理想を完成することであり、統一教会の言葉を使って言うなら、四位基台を完成することなので、

「創造目的を完成すること

=創造理想を実現すること

=四位基台の完成」

と書いてありました。

この「創造の目的を完成する」ことが神様の理想ですから、実は、創造理想も創造目的も同じだということがわかります。目的が完成されることが理想ですし、理想を実現することが目的です。そして、それは「四位基台を完成することだ」と、このようになっているわけですね。

創造理想とは

御旨とは「創造理想を完成することだ」というのですが、では、「創造理想」とは何でしょうか?

この質問をしてみると答えに窮する人が多いのですが、「創造目的」とは何ですか? と言葉を変えて尋ねると、これには即答できる人が多いのです。なぜなら、原理講論で「創造目的」について説明しているからです。

つまり、「創造の目的を完成する」ことが神の理想なので、創造理想も創造目的も実は同じなのです。目的が完成されることが理想ですし、理想を実現することが目的です。そして、それは「四位基台を完成することだ」と、なっているのです。

そして「四位基台を完成する」というのが原理講論に書いてある通り、三大祝福を完成していくことだ、ということです。

従って、上記をまとめてみると、

神の御旨とは、創造の理想である三大祝福を完成していくこと

と定義されることになります。

三大祝福は、三つの四位基台によって完成されるようになっていますが、ここで問題になるのは、文先生の説教集の内容に合わせて三大祝福を見ていくと、原理講論で説明されたものとかなり違ったものになるということなのです。

 

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