信仰基台をいつ立てましたか?
「信仰基台」とは何か?
「信仰基台」について考えてみましょう。
貴方が祝福家庭であるなら、
いつ信仰基台を立てましたか?
と質問されたらどのように答えますか?
ずいぶん昔のことだけれど、何年何月ころだったと思う、みたいにはっきりと答えられますか?
成約原理セミナーで私がこの質問を受けた時に、自分としてはそれなりに立ててきたような感じではあったんですが、いつ立てたのかとなると、そんなことわかるのだろうか・・と答えに窮した記憶があります。
そもそも「信仰基台」とは何でしたでしょうか?
手元に原理講論がありましたらP277を開いてみてください。信仰基台についての説明が出てきます。
緒論のところに(2)メシヤのための基台 という項目があります。
原文は以下の通り
要するに
・アダムが、
・神の戒めを守り、
・数理的成長期間を経る
これが信仰基台を造成するための条件となっています。
そして、P278 「①信仰基台」には
堕落によって失った信仰基台を蕩減復帰するために三種類の蕩減条件を立てなければならない。
となっていて、その三種類の蕩減条件とは、
①中心人物
信仰基台を復帰するための中心人物が必要であるということ。それで、神は信仰基台を復帰し得る中心人物を探し求めて来られた。
②条件物
神のみ言を信じ守れなかったことを蕩減復帰すべきでしたが、堕落した人間は直接み言を受けることができない位置まで(万物以下)落ちてしまったため、「御言」ではなく「条件物」となった。
・旧約以前・・御言の代わりとなる条件物を通して「信仰基台」を作る
・旧約時代・・律法、または、それを代表する契約の箱、神殿など
・新約時代・・福音の御言
③数理的な蕩減期間
サタンの侵入を受けた数を復帰する数理的な蕩減期間を立てる必要があったと、原理講論P444に詳細の説明がなされています。
そして、復帰摂理に登場している中心人物たちは、失ったその時代に要請された信仰基台を立ててきたと、聖書の記述の解説がなされたわけです。
信仰基台が立った日がある
しかも、彼らには信仰基台を立てた日が確かにありました。
たとえばノアであれば、アララテ山上に方舟を作り、それが出来上がると神の指示に従って家族や動物たちを次々と箱舟の中にいれて、「ぱたん」とドアを閉めた時。
アブラハムであれば、三種の供え物の失敗を蕩減復帰すべく、「イサクを捧げよ」という神の命令に従い、三日路程を経てモリヤ山に登り、祭壇を築いた。そして、その祭壇にイサクを寝かせて縛りつけ、いよいよ意を決したアブラハムは刃物を執ってイサクを殺そうとした。と、その瞬間に天使が現れて、「おまえが神を恐れる者であることを今知った!」
まさに、アブラハムの心が裂かれ、神への信仰が立ったあの日のこと。
改めていつかと問われたら、中心人物に立てられた召命者は「信仰基台」が立った日というのがあったのですね。
では、かくいう私はどうだったのか
昔の記憶を辿ると、「信仰基台を立てた」というはっきりした思い出はないけれど、教会生活の中で「蕩減条件」を立てた記憶が蘇ります。
ホームにある祈祷室には常時、蕩減条件を書くための紙が置いてありました。そして伝道路程や経済活動における目標達成のために、あるいは何か大きな大会開催の成功を祈願する時に、
中心人物・・・私の名前
条件物・・・祈祷や断食 御言拝読、水行、敬拝…等々
期間は、3、4、7、10、12、21、40、120などの原理数で、それを時間にしたり、日数にして設定して、所定の紙に書き込みました。
そして、アベルと言われる責任者に提出して了承をもらっていたのです。
だから、信仰基台をいつ立てたかと言われると、色々とやったのではっきり覚えていないけれど、教会生活の中で一応、私も原理講論の説明通りに蕩減条件を立てて信仰基台としてきたんです!
きっと皆さんもそうだったでしょう?
そもそも、私は中心人物なのか
ところが、今まで祈祷や断食、伝道、水行、敬拝、いろいろやってきたことのどれが信仰基台としての条件物なのかと問われたのです。
また、旧約時代、新約時代でそれぞれ条件物が違ってましたね。今や成約時代、あるいは天一国時代と言われる時に生きている私たちにとって、何が信仰基台の条件物なのでしょうか?。
それに、そもそも、蕩減条件を立てる中心人物に「私の名前」を書いてもよいのかという問題もあります。
私は中心人物なんでしょうか。
中心人物が条件物を神の御心に沿って捧げ、ある蕩減期間を通過することで信仰基台が立てば、次に実体基台の復帰に入り、そして、のちのちメシヤを迎えるための基台をつくっていくことになると学びました。
ということは、私が信仰基台をどこかで立てたという確信がないと、私が「中心人物」になっていない可能性が大きくなるということです。
成約原理セミナーで言われた結論は
教会生活の中でいろいろな蕩減条件を立てたようだが、はっきり立てたという自覚がないのなら、信仰基台は立っていないとみるべきだ。
こうなると、実体基台やメシヤのための基台もなしに、祝福の場に臨んでしまったことは揺るぎない事実として決定されるということです。
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朝日奈
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